絲綢之路初日「中国へ」
2006/04/01/(Sat)
朝早起きして、リムジンバスで関西空港へ8時頃着。予約しといた航空券をゲット!
行き先は中国。シルクロードへの旅路さ。10年以上前にNHKのシルクロード特集の再放送を観てから憧れの道やったんよ。はるか昔、絹や玉などの工芸品や芸術や商業や文化や宗教や思想などが砂漠や山を越え、栄光や滅亡を繰り返して行ったんだ。昔は飛行機や車なんてないんで、猛暑の砂漠の中でもラクダに乗ったりして何日もかけて命がけで移動しとったんだ。でもいつの間にかそこにあった街や城は戦争や水が枯渇したりして幻になってしまった。そんな秘境と呼ばれた道を1877年にドイツの探検家のリヒト・ホーヘンが「シルクロード(絲綢之路)」って名付けたんよ。ナイスネーミングやね。西安(長安)が東西の交易の中心でいろんなルートがあるんやけど、今回は天山北路っていう中国の北方へ旅に出たよ。今でも新たな発見があり研究されとって、まだまだ謎が多い道やけど、その謎は昔の人が残した壁画や遺跡などに隠されている!って完全に趣味の世界に浸るんで、あまり面白いブログじゃないことを先に断っておくよ。あと思い出したりして加筆修正するかも。小説風に番号でもつけてみるんで、適度につまらんかったら読み流しておくれ。ま、このブログを通じて、シルクロードや中国のいい所を伝えてたらいいかなって思っとるよ。
1
まずは北京へ。関空から約3時間のフライト。空の旅でずっとお世話になった中国国際空港公司っていう中国の飛行機に乗り込む。出国手続きに思いのほか時間がかかってしまってギリギリで搭乗。いきなり迷惑をかけてしまった。席は狭かったけど窓際で隣りに座る人もおらんからのんびりできた。離陸が一番怖かったけども、飛んでからは問題なし。窓の外に瀬戸内海が見えていたが、やがて雲しかみえなくなった。
スチュワーデスさんは中国語を話していたんで中国人やと思うけど、きれいな人ばっかりなんで目の保養になったよ。ランチタイムで「チキン オワ ギュウニク?」って親切に日本語交じりで言ってくれたよ。ビーフって言ってくれてもいいよ!って突っ込みたかったが、その親切心に「ギュウニク!」って答えた。

機内食はけっこうおいしかったよ。
飛行機の中では、中国語の本とかガイドブックを読んでたんだ。ある程度読めるんやけど、発音が難しいね。大学のとき第二外国語をドイツ語にしてたのをちょっと後悔。そんな感じで中国語を勉強しとったら、窓の外は雲の景色から中国の景色に変わってたよ。

そしてしらばくして着陸。ふー、ついに着いた。北京空港は2008年にオリンピックも開催される国際都市だけあってものすごく広かった。飛行機を出てからはバスで移動。入国手続きは怖そうな男の人にパスポートと入国カードを渡して問題なくクリアできたよ。大きな荷物を持って外に出ようとするとたくさんの中国人の女性たちの黄色い歓声が聞こえてきた。どうやら韓国の俳優がちょうど来ていたらしい。なんだオレにじゃないのか・・。外に出るとそこは中国。まわりからは中国語しか聞こえこなくて日本はそこには存在しなかった。
2
日本と北京では時差が一時間で13時20分の時計の針を12時20分にした。次の飛行機までまだ時間があったんで、喫茶店に入って椅子に座った。そしたらウエイトレスがやってきたんで、さっそく覚えた中国語で注文・・って思ったけど、メニュー表の珈琲を指差しただけだった。日本と違って後払いでなく、中国ではすぐにその場で支払いをすることを知る。20元をウエイトレスに渡した。これが初の人民元を使った瞬間だった。ちなみに使った人民元は関空で1元約16円で換金しとったんよ。

初めての人民元で飲んだ珈琲はちょっと甘めな味やった。
3
今度は西安へのフライト。またバスにのって飛行機へ。そしたらオレの席に赤い服を着た女の人が座っていた。中国語がまともに話せないんで、スチュワーデスさんにチケットを見せてジェスチャーで相談。ところが赤服の女はスチュワーデスさんに話しかけられてもシカト。しょうがなく空いている別の席へ座った。どうやらそこが赤服の女性が座るはずの席だとわかった。飛行機は満員だった。
離陸時間になっても飛行機は動く気配すらなかった。おかしいなって思ってたら、中国語のアナウンスが流れた。そしたら周りの人がブツブツと言いながらシートベルトを外し、上の棚から荷物を取り出して外に出て行った。わけがわからずついていった。どうやら飛行機は故障か何かで飛ばなくなったらしい。

再びバスに乗ってロビーへ。何があったのか詳しくわからぬまま不安になる。遅れたことのお詫びからかミネラルウォーターが配られる。

飛行機の離陸時間が遅れたことは確実だ・・ってやばい!!17時15分に到着予定やったからその時間に劉さんって人が西安空港で待ってるんだ。慌ててメモしていた電話番号を取り出した。携帯電話は使えんから公衆電話を探す。

クレジットカードでかけることができるとのことで、日本語のガイダンスに従ってその通りするが、何度やっても最後には英語で「あなたの操作はおかしい!」みたいなことを言われて切られる。涙。
そんなピンチの中。テレホンカードを売ってるらしき女性を発見。本で「電話をかけたい」を調べて中国語で聞いてみた。そしたら女性が「カーレントリー?」なんて英語で言ってくるんで、何度も「パードン?」とか「ワット?」とか聞きなおしたよ。そんで、ようやくわかったよ。日本でいうカントリーのことだって。「オー、チャイナ!」って言うと、ちゃんと中国に電話をかけたいって伝わってみたいで、女性は笑顔になってくれた。カードを99元で購入。

さっそくそのカードで電話したら、なんとか通じて一安心。遅れるとのことを伝えると理解してもらえた。ふー。
そんでなんとか電話のやりとりを終えたのだが、さっきまで一緒にいた人たちの姿がなくなっていた。えっ、どこに行けばいいんだ?慌てて制服を着た人にチケットを見せて聞く。そしたら英語で搭乗口を教えてもらえた。よかったぁ。

今日4回目のバスに乗って飛行機へ。今度はオレの席に赤い服の女の人は座ってなかったんで定位置に座った。窓際の席だったが満員。だから飛行中にトイレに行くのは厳しいと覚悟。今度はちゃんと飛行機は動いてくれたが出発は18時近くになっていた。まいったね。北京から西安まで約2時間。なんとかこれで西安にたどり着けると思うとホッとした。
4
西安に到着すると時計はすでに20時。外はすっかり暗闇になっていた。ここが昔世界の中心だった長安かと思うと胸がドキドキした。予定よりかなり遅い到着にもかかわらず、劉さんは暖かく迎えてくれた。この劉さんは日本語ができる中国の女性でガイドをお願いしていたんだ。到着後は市内で食事の予定やったが、あまりに遅すぎたんで空港のレストランでの食事となった。

こてこての中華やった。

中国ではガラスの容器に直でお茶の葉を入れて熱いお湯を入れるんだ。ちなみに右はビール。味は微妙。
なんだかんだで全部食べたよ。ご馳走様。中華はいいね。
5
ご飯の後は車で1時間かけて西安市内へ。空港は咸陽って所にあってだいぶ西安市内から西の外れにあったんだ。車の運転は王さんって人で日本語はまったくダメやった。日本とは違い車は右側通行で車の外は農村の景色。車に牛を何頭もつんだトラック。やらた荷物を積んだ3輪車。外で火を燃やす人。何かの儀式かと思ったらただゴミを燃やしているだけやった。そんな景色を見ながらたどり着いたのは今日と明日泊まる「西安南洋大酒店」っていうホテル。中国ではホテルを大酒店って言うんよ。チェックインして部屋へ。

なかなかの部屋なんでよかったよ。ただ、シャワーのお湯の出が悪くてちょっと困ったね。テレビをつけてみたら・・

全部中国語やった。40局くらいの番組があったんやけど全部理解不能やった。ここに来てよかったのかと自己嫌悪に陥る。
最近買ったばかりの一眼レフカメラにレンズをつける。明日からの活躍に期待。日本から持ってきた本とともに・・

「夜は危ないから出歩かない方がいい」と言われたのもあったし、すごい疲れてたんで、すぐに寝てしまった

今日は飛行機に乗って疲れたと一行で終わる内容やったんでゴメリンコ。明日は西安を旅するよ。 (二日目「西安」につづく)
絲綢之路二日目「西安」
2006/04/02/(Sun)
6朝から市の北東30キロくらいのところにある華清池へ。

ここは唐の6代玄宗皇帝が華清宮として整備して、毎年冬に楊貴妃と過ごしていたんやて。白居易の「長恨詩」で有名らしい。
歩いて行くと・・

楊貴妃の像があった!ホンマは九龍湖ってとこにあるそうやけど、工事中のためしばらくここにうつされたんやて。ちなみに実際の楊貴妃はこの像よりもっと太っていたらしい。唐ではぽっちゃりした女性が美人とされていたんやて。トンガか!って思ったよ。
さてここの一番の見所は湯殿なんよ。いくつかのお風呂が発掘されとった。

これは楊貴妃が入っていたお風呂なんやて。「お湯はどうやって入れてたの?」って聞いてみたら、この辺は温泉が湧き出るんやて。今でもそうで、源泉がいくつかあったよ。

お湯を触らせてもらったんだ。ちょうどいい温度でつるつる感があったよ。さぞ楊貴妃はお肌が綺麗だったんやろうね。ついでにお風呂に入りたい気分やったよ。でもそれじゃぁ陽気日やね。
7
秦始皇帝兵馬俑博物館へ。

ここには地下に埋められていたものすごい規模の兵士や馬などの俑があるんよ。約2200年前に中国を初めて統一した秦の始皇帝の絶大な権力から生まれたものなんだ。

この兵馬俑には死後も始皇帝を守るという意味が託されていたらしい。1.5キロ先に始皇帝のお墓があるんやけど、そこまで続いているとか。まだまだ発掘は続いているらしい。

全部違う顔で約6000体の兵馬俑が並べられとった。

横から見ると1の看板があるんやけど、そこで1974年に井戸を掘り起こそうとした楊さんって人がこの兵馬俑を発見したんだ。NHKでも昔インタビューをうけてたよ。この発見から楊さんは一躍人気者。あとで本を買ったんやけどサインをもらってちょっとうれしかったよ。でも撮影はNG。楊さんは目を傷めていてフラッシュの光がダメなんやて。

今でも発掘物の修復作業が進められてるそうだ。

後ろからみたらでかいね。どれもだいたい190センチあるんやて。バレーボールでもすればいいのにって、昔の人はそんなに背が高かったのかっていうとそんなことはないそうだ。
そんな感じで、公開されとる二号杭、三号杭、そして文物展示館をみて・・

青銅で作られた馬車とか見て博物館をあとにしたよ。
外に出ると、兵馬俑のレプリカを買ってくれっていう人がたくさんおったんだ。そんで警察がやってきたら、ものすごいはやさで持ってるものを隠して、なんかすごいことになっとったよ。
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兵馬俑博物館の駐車場に秦の始皇帝像があったよ。

でかいね。
そして秦始皇帝陵へ。大きなお墓さ。

ここは兵馬俑に守られて立つ中国初の皇帝の陵墓。

旗がはためいとったよ。

実はここには最新技術を用いて磁波や電波で調査した結果、世界最大規模の巨大な地下宮殿があると推定されとるんよ。ならばすぐに発掘すればって話なんやけど、そのためには巨額の費用がかかるし保存技術が不十分なため、実現の見通しは立ってないんやて。

稜墓には階段で登れるんだ。この階段を登ってたら、木の陰にものを売る人がおって声をかけてくるからびびったよ。
で、登ってみたら景色がよかったね。春の心地よい風を感じながら、しばらくぼーっとたそがれて階段を下りていったよ。また木の陰から声をかけられた。

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市内の南へ。

たくさん人がおったよ。

この像は玄奘(西遊記の三蔵法師)。

大慈恩寺は唐の高宗が亡き母のために建てた寺院。

この大雁塔は玄奘がインドから持ち帰った経典の保存と翻訳のために建立したもの。唐代652年に完成。最初は5層やったけど7層に改築されたんやて。
最上層まで登ると・・

東西南北の市内が見渡せたよ。

昔からだいぶ景色がかわったんやろうね。この塔は時代の流れをずっと見つめているのかな。
10
西安碑林博物館へ。

中にはいると噴水があって3つの門があったんよ。さて、どの門から入る??

昔は成績トップの人やえらい人しか真ん中の門を通ることが許されんかったんやて。今はみんなえらい人。というわけで真ん中の門をくぐったよ。まっすぐ歩いていくと・・

碑林の文字が。すぐ下には唐の玄宗の自筆といわれる石台孝経があったよ。
中には石碑、石像、墓誌銘(墓石に刻む文)が飾ってあった。2000点以上もあるらしい。

王羲之って漢字の楷書、行書、草書の基本書体を確立した人の碑があったり、キリスト教の伝来を伝える大秦景教流行中国碑なんてあったんよ。いろいろ説明してもらったんやけど、「へー」としか言葉が出んかった。「書」が好きな人にはたまらん場所やった。
11
西安市内を少し歩いて、夜は豪華に宮廷料理。「陜西歌舞大劇院」へ。大きな舞台があって、そこで琴の演奏を聴きながらのディナー。

思えばはるか昔、シルクロードの旅人を長安の人たちが手厚くもてなしていたんよね。そんなことを考えながら周りをみたら、ほとんどが西洋人。

中国人のかわいい娘が料理を持ってきてくれて、頑張って覚えた日本語で話してくれた。料理を指差しながら、「あまーい!」「から−い!」って教えてくれたんだ。こっちも負けじと中国語でビールを注文した。しかし、結局メニューを指差して理解してもらえた。
おなかいっぱいになったあとはアイスを売ってくる娘がやってきた。中国語しか無理やったけど、買うよって言ったら笑顔で答えてくれた。

バニラアイスを食べてみたんやけど、日本のと微妙にバニラの味が違うね。なんともいえん味やった。
そんなこんなで場内真っ暗になって、いよいよショーが始まった。

演奏や踊りなどで楽しめたよ。中でもきれいな人が多すぎて・・

う〜ん、うっとり


イナバウアー!!
そんなわけで約1時間。まるで竜宮城へ行った浦島太郎状態やったよ。昔の旅人もこんなショーをみてたのかな。
12
ショーを楽しんでホテルに戻ったんだ。それでもう素直に寝ればいいんやけど、どうせなら夜の街に出てみようって、外をフラフラさまよったんだ。「夜はあぶないから!」っていう警告を無視して・・そしてなんか村って書いてある路地へ入ったんだ。

そこには露店がたくさんあって、日本の昭和初期のような景色。外でビリヤードを楽しむ若者もいたよ。むちゃくちゃうまいんでびっくり。そんな所を歩いていてふと小さなゲームセンターを見つけたんだ。中に入ってみると中国の知らないゲームばかり。そんでその中に「天地を喰らう」っていう日本のゲームがあったんで懐かしかったよ。で、眺めてたんだ。そしたら、中国人の若者が話しかけてきた。中国語なんで何を言ってるか理解できずに黙ってた。そしたらなんと、ゲームセンターの入り口にカギをかけられて、外に出られなくなってしまったんだ
やべっ、命の危険を感じたよ。他の仲間らしき中国人もやってきて何か話しかけてきたんやけど、こっちはただただ唖然。ゲーセン内にいる他の客を裏口から外に出してたんだ。だからその裏口めがけて猛ダッシュ。もう死ぬ気で逃げようとした。しかし、3人くらいの中国人に取り押さえられてしまった。完全に逃げ場を失った。何度も中国語で会話してくるのだが、わけがわからず途方にくれたよ。そしたら中国人の一人が携帯電話をかけだしたんだ。どうやら仲間を呼んでいるようやった。やべっ、もしやばい人がきたらどうしよう・・まじ、泣きそうやったよ。そしたら、外からバイクのエンジンの音がしたかと思ったら、2人の若者がやってきた。そのうち一人は千鳥の大悟みたいな顔をしていた。そしてなにやら会話をしはじめた。こっちは半泣きで必死で「何もしてないやろ!」「わけがわからん!」と日本語でアピール。そして通じないやりとりをしているうちにどうやら持っていたカメラで何か変なものを撮影していると思われたのではと思い、今日撮影した画像を見せたんだ。「何もしとらんやろ!」ってジェスチャーでアピールしながら。そして「リーベンレン(日本人)」って頑張って中国語でただの観光客やとアピール。そしたら大悟が入り口のカギをあけてくれたんだ。そして「行っていいよ!」てジェスチャーで示してくれたんだ。マジで腰が抜けてほっとしたよ。そしてちょっと涙がウルウルして、「シェィシェィ(謝射)」って言って、そこにいた中国人たちと握手をしてその場を去ったんだ。その後はもう放心状態でホテルに戻ったよ。中国語をしっかり勉強しとけばよかったと心から後悔した夜やった。
明日は西安をもう少し旅するよ。 (三日目「西安→ウルムチ」につづく)
絲綢之路三日目「西安→ウルムチ」
2006/04/03/(Mon)
13朝からあいにく天気は雨。傘を持っとらんからピンチ。というのも歩いて行きたい公園があったから。どうしようって思ってたら雨がやんでくれてここぞのばかりにホテルを出発。向かったのは西安交通大学の前にある興慶宮公園へ。ホテルから歩いて10分くらいのとこにあったんだ。

なんとかカタコトの中国語で入場券をゲット。ってほとんどジェスチャーなんやけどね。5元したんやけど、季節によって値段が変わるらしい。
中に入ると・・

太極拳をやっとる人たち。朝の中国では太極拳をやっとる光景が目によく入ってきたよ。
そしてある碑を探す。しかし見つからない!やんでたはずの雨もまた降り出してきて、時間もないんでちょっと焦っとったよ。そんでたくさんの人が集まってた所に行って思いきって中国語で聞いてみた。そしたら優しそうなおじいさんが「あなたは日本人ですか?」って日本語で聞いてきたんだ。「はい、そうです。」って言うと、にっこり微笑んで「雨が降って大変ですね。」って言って、丁寧に碑までの道を教えてくれたんだ。でもまだここからはけっこう距離があって複雑な道なんよ。そしたらニコニコしたおばちゃんが「カム ヒア!」って英語で言ってきて、わざわざその碑まで送ってくれたんだ。送ってもらう途中、中国語で話かけてくれたんやけど、おそらく簡単な言葉なのに聞き取れずで悪いことしたんよね。ここでも言葉の壁を感じてしまったんだ。それでもおばちゃんは笑顔で歌をうたいだしたんよ。それはなんとも言えない素敵な歌声やったんだ。そんで歌い終わったところで「ハォ(好)!」って言ったら「サンキュー!」って言ってくれたよ。初めてまともに中国語が通じたような気がした瞬間やった。そんなおばちゃんの歌声を聞きながら、目的の碑に到着することができたんだ。「シェィシェィ(謝謝)」って何度もおじぎをしたよ。本当にありがとう。
で、その探していた碑とは・・

阿倍仲麻呂碑。阿倍仲麻呂とは日本から遣唐使として唐の長安にやってきて、科挙という難関の官僚登用試験に合格。その後日本に帰国できなかった人だ。百人一首の「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」で有名。望郷の和歌やけど、漢詩で碑の左側に書いてあったよ。

訳すと「大空をはるかに仰ぎ見れば月が出ている。今やかすかな記憶になってしまった春日の三笠山。その山から昇るのを眺めた月と同じ月なのやなぁ。」やね。この雨じゃ今日は月は見えないだろうなんて思いつつ、1300年くらい前に長安で活躍していた日本人の碑を見ながら、タイムスリップした気分やったよ。静かに手を合わせた。
そのあとさっきのおばちゃんの歌声がしたんで行って写真を撮らせてもらったんだ。

中国のお母さんに思えたよ。傘を差し出してくれたんやけど、それじゃぁおばちゃんが濡れるでしょって傘を受け取らずその場を去ったよ。雨の中、再びおばちゃんの歌声が聞こえていたよ。
そしてなんとか出口まできて、初日にゲットしたテレホンカードで劉さんの携帯に電話して、公園まで迎えに来てもらった。ずぶ濡れなオレを見て、劉さんも運転手さんもびっくりしとったよ。
14
ホテルでいったん着替えて荷物を整理したあとは西の城門である安定門へ。

西からシルクロードを通ってやってきた旅人はここから入ってきたんやね。上から見ると、まるで旅人を歓迎するかのような笛を吹く女性の銅像があったよ。

それから西安中心部をみると・・

この景色もずいぶん昔と変わったんやろうね。
西安は長方形の城壁がある街で、城壁の上はこんな感じ・・

けっこう幅広くて通ってもいいとこなんよ。そんで自転車を借してくれる所があるんやけど、雨が降っとったから貸してくれんかった。そんなわけで歩いてみることにしたんだ。歩きながら景色を眺めたよ。この景色もまた変わっていくんやろうね。
15
お昼は徳発長ってお店へ。108種類の餃子がある餃子専門店なんやて。餃子と言えば、日本やと焼き餃子やけど、中国では水餃子か蒸餃子が一般的なんやそうだ。で、食べたのは西安名物料理の餃子宴。お酢は中国やと黒酢なんよね。その黒酢と醤油とラー油で18種類の餃子を味わったんだ。

おいしかったぁ。
なんかすごいスープも出てきたよ。

塩味でこれまたおいしかったよ。
そんな餃子を食べたあとは、店のすぐ近くにある鐘楼へ。

これは西安の中心にあって、西安のシンボルタワーなんだ。これを見て、改めてここは西安なんやなって思ったよ。
16
陝西歴史博物館へ行ったんだ。

大きな獅子がお出迎え。

入ってすぐに西安のある陝西省の地図があったんやけど、人の形に見えるから不思議やね。

あっ、このラクダ、テレビでみたことある!ってビビッときたね。
絲綢之路(シルクロード)の展示物も多数あったよ。

そんな感じで3000点くらいの展示物を見ることができたんだ。国宝もたくさんあったよ。ここの収蔵文物はだいたい37万点もあるんやて。
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博物館の近くにあるお茶の工場へ。「疲れたでしょう、休んでください!」って中国式のお茶の入れ方を教えてもらって・・

いろんな種類のお茶を飲ませてもらったよ。苦いのから甘いのまで。お茶を飲むと疲れが取れたよ。ありがとう、チャイナガール。
18
まだまだいろんなことがたくさんあった名残惜しい西安ともこれでお別れの時間。最後は空港まで送ってもらって搭乗手続き。次に向かうのは新疆ウイグル自治区第一の都市ウルムチ(烏魯木斉)。北京との時差は2時間。ここにはウイグル族など40以上の民族が暮らしているんだ。お世話になった劉さんと王さんに別れを告げた。

約3時間のフライトでウルムチ空港にたどり着いたのはだいたい22時。
空港について出迎えてくれたのはガイドの韓さんと運転手の賀さんやった。韓さんは父が漢族で母が回族なんやそうで、日本語をとても綺麗に話してくれた。賀さんはまったく日本語がまったくダメやった。2時間の時差が心配やったが、北京時間で大丈夫とのことで時計の針は動かさんかった。
車の景色は高速道路やったんで道しか見えんかったが、ウルムチ市内に近づくと、だんだん街の景色が見えてきた。思ったより都会やった。ホテルは「新疆大酒店」というとこで、外に大きなライオンの彫刻が飾ってあった。
チェックインして部屋まで英語で案内してもらった。なかなか快適な部屋やったけど、ベットの縦幅が短いんでちょっとまいった。冷蔵庫を開けてみると・・

いろんな飲み物があって、日本のホテルより安かった。例えばビールが一本8元。150円でおつりがくるよ。
そんで中国語のテレビを観てウトウトしてたら、いきなり電話が鳴った。「ニーハオ!」って出てみたら、日本語で知らない男の人の声。いろいろ話して「明日お食事一緒にどう?」って誘われて「いいですよ!」って言ってしまったよ。いったい誰なんだろう。寝ぼけとったから名前聞き逃してしまった。日本で最初にシルクロードを研究した大谷探検隊に興味があるみたいやったけど、オレは専門家じゃないんで詳しくないよ。わけがわからぬまま、眠りについた。
明日はウルムチを旅して、夜にはある男と会うらしい。 (四日目「ウルムチ」につづく)